夢を見た。
癌で亡くなった、友人の旦那さんが出てきた夢だった。
アメリカで暮らしていた頃、親しくしていた家族で、サンクスギビングやイースターの祝日に、家庭の食事に何度か招いてくださった。
でも、私たちが帰国する前の年に、末期ガンであることが判明し、わずか一年ほどの闘病の末に亡くなってしまった。
まだ小さい子供と、奥さんを残して、天国へ旅立ってしまった彼。どれだけ無念だったことだろう。
友人家族も、そして私も、キリスト教の信仰を持っている。だから、この地上での命が全てではないと思っているし、永遠の希望や天国を信じている。
それでも、やはり、この地上で大切な人ともう会えないという事実はあまりにも寂しいし、悲しい。配偶者を失って悲しみに沈んでいる人に、私はどんな言葉をかけていいのか分からなかった。
今日生きていることは当たり前のことではない。
親しい人が亡くなる時、この地上での命は有限であることを改めて思い知らされる。
私に与えられた今日という1日は、誰かが願っても得られなかった1日であるかもしれない。
生きるとか死ぬとか、究極的なことを考えていると、日々の私の頭の中を占めている大半のことが割とどうでもよくなってくる(笑)
2歳児のイヤイヤ期とか、どうってことないよね。生きていてニコニコ笑っていれば、それで幸せだよね。
美味しいご飯があって、健康が与えられて、住む家と着る服があって、幸せじゃないか。
大好きなこどもたちを、ぎゅっと抱きしめて、今日も寝よう。
うん、そうしよう。