星の数

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アメリカで子育て中。日々考えたことを綴っています。

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20代で遺品整理をして考えたこと

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この話は私たち夫婦がまだ日本にいた頃の話です。

私たち夫婦は、諸事情で夫の祖父母の家の遺品片付けをしたことがある。二階建ての一軒家にあるものを、中身をほとんど処分した。本当に膨大な量で、数トンは処分したと思う。

それは体力的に本当に大変な仕事だった。かなりの時間とエネルギーを費やした。
普通、遺品整理をするのは自分か配偶者の親が亡くなった時なので、40-50代ごろに経験することが多いと思う。ただ、私たちの場合は、色々な事情があって、20代というまだ若いタイミングで経験した。

大変な仕事ではあったが、人生の中で大事なことを学べたと思っている。
その時に色々と感じたことを記しておきたい。

 

●「モノを捨てられない世代」
夫の祖父母は幼い頃戦争を経験した世代だ。貧しかった頃、物が貴重だった頃の日本を知っている。だから、まだ使える物を捨てることに罪悪感を感じる。物を多く所有することが豊さの象徴であり、働き盛りの頃に日本は高度経済成長期だったため、一生懸命働けばお金もたくさん得ることができた。

夫の祖父母の家も、物が非常にたくさんあった。たとえば食器棚だけでも、大きな棚が二つあり、食器がギッシリと詰まっていた。衣類にしても、複数のタンスにぎゅうぎゅうと入っていて、中にはほとんど袖を通していないような服もあった。


●「物は天国に持っていけない」
私の当時の日記にこう書いてある。いくら物をたくさん所有していても、あの世までは持っていくことができない。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」というのは旧約聖書ヨブ記の言葉だが、人間は赤ちゃんの時に裸で生まれてきたように、死ぬ時もまた全ての所有物を手放すことになる。人はいずれみんな死ぬのである。


●「結局捨てるしかない」
まだ使える物を捨てるのは、罪悪感を感じた。でもそうは言っても捨てなければ片付けは進まない。最初は、施設に献品したり、リサイクルショップに売ったりもしていたが、かなりの手間がかかるし、私たちが片付けに費やせる時間も限られているので、結局最後は捨てたものが多かった。

 


●「捨てることは気力体力を要する」
私達は業者を使わず、自分たちの手で遺品を処分した。毎週、燃えるゴミの日と燃えないゴミの日は大量のゴミを出した。
私はこの作業をしながら、こんな大変な思いを自分の子供たちにさせたくないと思った。自分の身の回りの物はなるべく少なく、軽やかに生きたいと思った。


●「ゴミを捨てるのもお金がかかる」
日本の中ではかなりの地域でゴミが有料化しているが、今後もその傾向は強くなると思う。私達が遺品整理の時は幸い、その市内はゴミが無料で捨てられた。しかし、数年後、有料化が決まってしまった。
日本はこれから物を溜め込んだ世代がどんどん亡くなっていき、ゴミ問題はどうなっていくのだろう。地球の環境や資源には限りがある。


●「資本主義経済に対する疑問」
資本主義というのは、モノを売って利益を得て成長をし続けていくことが大前提のモデルである。でも、私たち若い世代は既に物質的には恵まれた世代なので、物がたくさんある=豊か、 とは考えていない。それでも企業は、「これを買えばあなたはもっと素敵になれる、これを手に入れればあなたの生活は便利になる」というメッセージを消費者に発信し続けている。企業が生き残るためには利益を出して成長し続けるのが命題だからだ。

私自身、物欲が全くないというわけではない。だけど、大量製造、大量消費、大量廃棄を前提にしている今の社会の仕組みはどこか歪んでいるように思えた。


●「生きていくために必要なものは本当は少ない」
生活の中で毎日使うものは本当は少ない。私はミニマリストではないけれど、その考え方に共感する部分は多い。


その後私達はアメリカに引っ越した。祖父母の家を片付けた反動もあり、私達はスーツケース3個だけの荷物で生活を始めた。その後こちらでの生活が長くなり色々と物を譲り受けたりして、今は適量に落ち着いている。

もし日本に帰ることになったら、また大半の物を手放して帰ると思う。生きていくために物は必要。だけど物に縛られずに生きていきたい。